ルート・ブリュック 蝶の軌跡 フィンランドを代表するセラミックアーティスト、日本初個展。陶板からモザイク壁画まで約200点を一挙公開!

ルート・ブリュック展の概要

このところ、私が出かけたフィンランドにちなんだ展覧会は「フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活」(2012)、「森と湖の国フィンランドデザイン」(2012-2013)、「フィンランド・デザイン展」(2017)、「フィンランド陶芸 芸術家たちのユートピア」(2019)。

作家では「トーベ・ヤンソン展 ムーミンと生きる」(2014)、「アルヴァ・アアルト もう一つの自然」(2018)、「カイ・フランク」(2019)、「ムーミン展」(2019-2021)でした。

アルヴァ・アアルト(1898 – 1976)は、 建築家、デザイナー。カイ・フランク(1911- 1989)は、プロダクトデザイナーとして著名です。

下図は「森と湖の国フィンランドデザイン」の図録です。


『森と湖の国フィンランドデザイン』※展示はありません

表紙のビジュアルは、タピオ・ヴィルカラの《カンタレッリ》です。ヴィルカラは、カイ・フランク、ティモ・サルパネヴァと並びフィンランドの3代巨匠と言われています。そして今回の出展作家ルート・ブリックの夫です。

下図は「フィンランド陶芸 芸術家たちのユートピア」の図録です。


『フィンランド陶芸 芸術家たちのユートピア』※展示はありません

表紙のビジュアルは、ルート・ブリュックの陶板《聖体祭(部分)》です。ブリュックが勤めたアラビア製陶所がテーマなので、ここに来て初めて紹介されています。

期せずして、夫婦で別々の展覧会の図録の表紙を飾りました。

ルート・ブリュック(1916-1999)は、フィンランドを代表するセラミックアーティストです。

1942年から、名窯(めいよう)アラビア製陶所・美術部門(アート・デパートメント)の専属アーティストとして活動を始め、独自の石膏の型を用いた表現を確立しました。

1960年代に入ると、初期の具象的な陶板から多くのタイルピースを組み合わせた、抽象的で立体的なスタイルへと変化を見せます。

晩年にかけて、ヘルシンキ市庁舎やフィンランド銀行、大統領私邸など、迫力のある大型のモザイク壁画を制作しました。

2016年にフィンランド・ヘルシンキ近郊のエスポー近代美術館で、生誕100年を記念する大規模な回顧展が開かれました。

その回顧展をもとに、1940年代から80年代にかけての約200点を紹介する、ルート・ブリュック日本初の個展です。


エスポー近代美術館/ ウェーゲー展示センターの中に設置されています。

ルート・ブリュックの作品と人生

ブリュックの父親はオーストリア人の画家、蝶類学者のフェリクス・ブリュックです。母親のアイノ・マキネンは、旧フィンランド領カレリア地方出身でタペストリーなどの工芸品作りを得意としました。

ふたりは、フェリクスが美学生時代に滞在先のフィレンツェで出会います。

ブリュックは1916年に、両親が移り住んだスウェーデン・ストックホルムで誕生しました。ふたりの兄と妹があります。しかし、ブリュックが12歳のときに両親は離婚します。

ブリュックは建築家志望でしたが、兄たちから建築家は激務と反対されます。1936年から1939年まで、美術工芸中央学校でグラフィックアートを学びました。

卒業後はグラフィックアーティストとして働きます。イラストを描いたり、フィンランドの伝統的なラグやタぺストリーなど手織りの布をデザインしました。

アラビア製陶所でアートディレクターを務めていたクルト・エクホルム(1928‐1931)は、ブリュックのテキスタイルとグラフィックデザインに着目し、1942年に訓練生としてスカウトします。


アラビア製陶所/ 1873年にスウェーデンのロールストランド社が、ヘルシンキ郊外にあるアラビア地区に設立した製陶所です。2016年より博物館、ショップ、学校などが入る複合施設となりました。

ブリュックは作陶経験はありませんでしたが、新たな職場で才能を存分に発揮します。その後アラビア製陶所でのキャリアは、50年に及ぶことになりました。

新しい職場では、トイニ・ムオナ(1904-1987 女性)、キュッリッキ・サルメンハーラ(1915-1981 女性)、ビルゲル・カイピアイネン(1915-1988)といった、世界的に名高いフィンランドのセラミックアーティストたちが同僚となりました。特にカイピアイネンは生涯の親友となりました。

夫となるタピオ・ヴィルカラ(1915-1985)とは、カイピアイネンの紹介で戦時中に知り合います。その頃のヴィルカラは、父の跡を継ぎ装飾用の彫刻職人として働き始めていました。1945年に結婚します。

ふたりはそれぞれに国際的名声を得ましたが、ヴィルカラがデザインしたテーブルウェアにブリュックが絵付けをするなど共同制作も行いました。

1950年代初め、ブリュックは新たな技法である鋳込み(いこみ)成形を採り入れ、作品の様式に明らかな変化をもたらしました。

ブリュックは、アラビア製陶所の技術者たちとの共同作業に情熱を注ぎました。技師チームは、ブリュックのために新たな道具や素材を開発するとともに、200種を上回る新たな釉薬を調合します。

ブリュックは、作家活動を始めて早期に著名になり、海外でも高い評価を受けました。

1950年代からはイタリアでも屈指のデザイン専門誌『Domus(ドムス)』に何度も作品が掲載されました。1951年に《最後の晩餐》を含む作品群がミラノ・トリエンナーレのグランプリを受賞します。次回のトリエンナーレでも《鳥の壁》を含む作品群が名誉賞を受賞しました。

《最後の晩餐》
ルート・ブリュック 1951年

1957年には、父フェリクスが他界しました。そして亡き父を想いながら、ブリュックは蝶をテーマとする連作を描きます。

蝶の陶板はブリュックが大きなスケールの、空間的な作品に取りかかる起点にもなりました。

1958年には、タイルや立方体をパッチワークのように並べる作品《都市》を作成します。パーツを固定せず、いくらでも組み合わせができる作品でした。

《都市(部分)》
ルート・ブリュック  1958年

この後の数十年間、こうしたレリーフの大作がブリュックの制作の基礎となりました。

ブリュックは数年かけて、それまでの愛らしい小品から建築に組み込まれるような大型のレリーフへとスタイルを進化させました。

1960年代は、小さなタイルを組み合わせて大きな図柄を描き、さらに建築に近づいていきます。

1960年代後半には、ブリュックの作品は次第にモノクロームに近づき、白色のタイルの果たす役割が大きくなっていきました。

ブリュックはセラミック・アートの最新素材、技術を用いて先駆的なイノベーションを実現しました。また、それまで他の芸術よりも注目されていなかったセラミック・アートの地位を高めました。

ルート・ブリュック展の見どころはここ

夢と記憶

ヘルシンキの美術工芸中央学校でグラフィックアートを学んたブリュックは卒業後、イラストとテキスタイルデサインの仕事を始めます。その後、アラビア製陶所に入所した初期の頃は、子ども時代の記憶や日常を器やタイルに絵付けをしました。

《無題》

ルート・ブリュック 1942年

《結婚式》

ルート・ブリュック 1944年

色彩の魔術

1948年から1950年にかけてブリュックは、独自の石膏型を使って鋳込み(いこみ)成形による新しい表現を模索します。同じ形状の生素地を複数作り、異なる釉薬やパターンを施すことで異なる作品に仕上げました。

《ヴェネチアの宮殿: リアルト橋》

ルート・ブリュック 1953年

《母子》《母子》

ルート・ブリュック 1950年代

《ライオンに化けたロバ》

ルート・ブリュック 1957年

空間へ

父フェリクスが蝶の研究者だったこともあり、ブリュックにとって蝶は大切なモティーフでした。1950年代後半から、ブリュックはたくさんのタイルを組み合わせてモザイク壁画のようなレリーフ作品を手がけるようになります。

《蝶たち》

ルート・ブリュック 1957年

《黄金の深淵》

ルート・ブリュック 1969年

偉業をなすのも小さな一歩から

小さなタイルを組み合わせる方法で、ブリュックはヘルシンキ市庁舎やフィンランド銀行といった公共の場に飾る作品を制作しました。

《ソーホー》

ルート・ブリュック 1968年

《木》

ルート・ブリュック 1978-1980年 フィンランド銀行

光のハーモニー

1970年以降、ブリュックは陶のピースによって、平面上に光と影を立体的に表現しようと試みます。そのためタイルはシンプルで幾何学的になり、色彩はモノクロームへと近づきました。

《色づいた太陽》

ルート・ブリュック 1969年

資料

ブリュックが用いた石膏型や釉薬の色見本、壁紙やテキスタイルのほか、1960年代以降、企業、銀行、市役所などの公共建築のために制作した大型のレリーフ作品などを紹介します。

《流水》

ルート・ブリュック 1987-1991年 フィンランド大統領私邸

ルート・ブリュック展のインスタ映えスポットはここ

東京ステーションギャラリー入口脇のボードとデジタルサイネージ。3階の展示室は撮影ができました。

ルート・ブリュック展の混雑状況はここをみる

混雑状況は、展覧会や美術館のツイッターで知ることができます。
災害などによる臨時休館や、イベント情報などリアルタイムで分かります。

ルート・ブリュック展

岐阜県現代陶芸美術館

久留米市美術館

ルート・ブリュック展のグッズがかわいすぎる

ルート・ブリュック展の図録はここがすごい

『ルート・ブリュック 蝶の軌跡』

表紙はダークグリーンのクロス貼りで包まれています。タイトルは箔押しがされ、ブリュックのポートレートが小さく添えられ、高級感あふれる装丁です。

巻頭にはブリュックの制作風景をとらえた、A5サイズ12ページの綴じ込み冊子が付いています。

本体はA4サイズです。ページあたりの作品の掲載点数が少なく、余白も十分に取られており詰め込まずゆったりとした構成になっています。

巨大作品はその部分が添えられているものもあり、細部まで窺う(うかがう)ことができます。

エスポー近代美術館主任学芸員によるブリュックとその作品の生立ちや、アラビア製陶所の職人たちによる釉薬見本なども掲載されています。

ルート・ブリュックについて著された和書は多くはないので貴重な一冊です。

ハードカバー/210mm×297mm/カラー/300ページ

価格=3,300円(税込)

 

ルート・ブリュック展のチケットはいくら?

岐阜県現代陶芸美術館

当日券
一般 900円/ 大学生 700円/ 高校生以下無料

団体券
一般 800円/ 大学生 600円/ 高校生以下無料
※団体は20名以上
※以下の手帳をお持ちの方および付き添いの方1名まで無料

久留米市美術館 ※中止になりました

ルート・ブリュック展の巡回先はここ

岐阜県現代陶芸美術館 6月6日(土)~8月16日(日)

〒507-0801 岐阜県多治見市東町4-2-5 (セラミックパークMINO内)

アクセス
○JR多治見駅までのアクセス方法
東京方面・・・東京→(新幹線)→名古屋→(JR中央本線)→JR多治見駅
大阪方面・・・大阪→(新幹線)→名古屋→(JR中央本線)→JR多治見駅

○JR多治見駅から岐阜県現代陶芸美術館へのアクセス方法
多治見市コミュニティーバス(ききょうバス)・・・土・日・祝日のみ運行
料金=200円 所要時間 約25分 オリベ観光ルート「セラミックパークMINO」下車
※1日乗り放題フリーパス(300円)あり。

東鉄バス  
料金片道=280円 所要時間約15分(下車後、徒歩約10分)
多治見駅前(南口)東鉄バス3番乗り場より【妻木線】もしくは【瑞浪=駄知=多治見線】のどちらかに乗車
停留所『セラパーク・現代陶芸美術館口』下車(バス停から施設まではバス停に取り付けられた案内板をご参照ください。)
※1 【妻木線】で「タウン滝呂」経由の便は停留所『セラパーク・現代陶芸美術館口』を通りませんのでご注意ください。
※2 停留所『セラパーク・現代陶芸美術館口』は、上りと下りではバス停の場所が違いますので、ご注意ください。
※3 土・休日の『セラパーク・現代陶芸美術館口』のりば発、多治見駅前行の最終は17:06です。以降は、美術館から徒歩約20分の『多治見総合グランド口』のりば発(滝呂台線・学園都市線)多治見駅前行18:53、19:53をご利用ください。

タクシー   
所要時間約10分

開館時間
10:00~18:00(入館は17:30まで)

休館日
月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)、年末年始

お問い合わせ
Tel.0572-28-3100    
Fax. 0572-28-3101 

久留米市美術館 7月18日(土)~9月6日(日)※中止になりました

〒839-0862 福岡県久留米市野中町1015(石橋文化センター内)

アクセス
空路
福岡空港より西鉄高速バスで50分(文化センター前下車)

電車
JR博多駅よりJR久留米駅まで新幹線で20分、快速で40分
西鉄福岡(天神)駅より 西鉄久留米駅まで 特急で 30分、急行で 40分

バス
JR久留米駅より西鉄バスで15分、西鉄久留米駅より5分(文化センター前下車)


久留米インターより10分( 石橋文化センター内に有料駐車場あり)

※おおよその時間で記しています。

開館時間
10:00~17:00(入館は16:30まで)

休館日
月曜日(祝日や振替休日の場合は開館)、年始年末(年度により変更あり)、臨時休館(展示替え期間など)

お問い合わせ
Tel.0942-39-1131
Fax. 0942-39-3134